2009年6月 3日
伊勢亀山城 その2 公園に展示されているSLと帯曲輪(おびくるわ)
![]()
亀山城は今公園として整備されていて その公園の片隅に どどーんとあるのがSL C58359号です。
昭和19年1月27日に川崎車両型式神戸工場にて製造された SL。
亀山市が国鉄時代に、重要な駅で 新幹線ができるまでの間はにぎやかだった頃に活躍していた車両なんですね。
このページを見てくれてありがとう♪♪
BLOG「シャチのツボ」は東海地方のショップオーナー達が集まり、名古屋はじめ愛知・岐阜・三重について書いています♪♪ 今日の順位は?
↓ ↓ ↓
![]()
亀山城は三重県では唯一の現存の櫓があるお城の跡ですが、お城公園として整備されるとともに
発掘調査や復元工事なども一部では行われ、そのひとつして 帯曲輪(おびくるわ)一体の整備・復元が行われています
■復元された帯曲輪(おびくるわ)
****たてカンバンより引用****
城を敵から守るためにつくられた場所のことを曲輪(くるわ)とよびます。
曲輪(くるわ)の中で帯(おび)のように細長い形をしているものが帯曲輪(おびくるわ)です。
亀山城には、帯曲輪が6箇所ありました。
この帯曲輪は東西43m 南北6.5mあり 殿様のいる二之丸御殿とはとなりあっています。
帯曲輪には建物はなく、意思を組んだ溝がめぐらされていたことが発掘調査でわかりました。
また、ミゾには石を組んだ大きな水ためが作られており、
帯曲輪(くるわ)の中につくられた庭やお花畑などに水やりをしていたものと考えられます。
城を守るための帯曲輪が、戦いのない時代が続いたので庭やお花畑など平和な使われ方に変わっていったことがわかります。
なお、見つかった溝や水ためは、埋めもどしてそのまま残したうえで全体を江戸時代の終わりごろのようすに復元しました。
土塀(どべい)
土塀とは、壁土(かべつち)を塗った塀のことです。
亀山城の外まわりはすべて土塀で囲まれており、そのすべての長さは焼く2.6kmあります。
帯曲輪の土塀は古い絵図面に描かれていますので、土塀があったことは間違いないのですが発掘調査ではそのあとは見つかりませんでした。
このため140年ほど前に撮影された亀山城の写真にみられる土塀のカタチとつくりをもとに、昔の方法をもちいて作り直しました。
なお、一部は新しい方法も取り入れています。
この土塀は木組みに壁土を塗りこんだもので、中が太鼓のようにからになっていますので、「太鼓塀(たいこべい)」とよばれるものです。
また、瓦(かわら)は亀山城で使われていた瓦から型(かた)をとって焼きなおしました。
丸い軒瓦の模様は、亀山城主であった石川家が使っていた紋のひとつである「蛇の目(じゃのめ)」です。
なお、ふつう城の土塀には鉄砲をうつ小さな窓(狭間(さま))をあけているのですが、
古い写真では狭間(さま)はひとつも見られませんでしたので、今回作り直した土塀も狭間のないものにしました。
***ここまで***
この記事は、三重県鈴鹿市でTHULEやTERZOなどカーキャリアの販売をしている谷川屋:店長:たにがわが書きました
また

THULEスーリーベースキャリア車種別検索がより簡単に!
|